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  29歳の時に母が倒れ、殆ど寝たきりの状態になってしまいました。福岡と神奈川、遠くに別居していた私は、母の面倒を弟夫婦に任せ切りで面倒を見てあげられない自分が情けなく、また、少し寂しさを感じていました。そんな時、目に留まったのが求人案内の一文です。「亡くなった方のお世話が仕事です」仕事の内容は全く分かりませんでしたが、何故か「私には出来る!」と思い立ち、気付いたら、今迄の仕事とは全く関係の無い仕事に飛び込んでいました。
 最初は、右も左も分からず、ただ一生懸命に仕事を続けていましたが、お世話する方々と母が重なる様になり、次第と気持ちが家族側に立っている自分に気付き、「もっと出来る事が有るのではないか」「もっと家族の要望に応えたい」と考えるようになりました。専門的な勉強し、もっと技術・知識を増やしたい、でも、このままでは思うような仕事が出来ないと決断して独立を果しました。
 独立して、最初の故人が母でした。まるで、待っていてくれたようでした。何も親孝行は出来なかった私にとっての最初で最後の親孝行だったと思います。
 独立してからは、とても大変でした。誰にも認めてもらうことが出来なくて、毎日営業に歩き回っていました。そんな私を、昔からの知人が助けてくれ、その方の紹介で、一つの葬儀社と取引が始まり、また、またその葬儀社が別の葬儀社を紹介して頂き、少しずつ認められていきました。独立して、色々な方と出会い、助けられ、今の私があるのだと思います。
 独立後は、全く生活が出来ずにいた私を、取引先の葬儀社の方々が助けたくれていました。食事を一緒に出してくれたり、魚釣りで獲れた魚を分けてくれたり、米俵を頂いたり・・・。本当に助けて頂きました。本当に有難かったです。いつか、その時の恩返しがしたい、その為には仕事で実績を上げ、家族に喜んで頂けるようになる。そして、必要とされるようになりたいと日々努力してきました。
 そんな時期に出会った方の一人が、法医学の教授の伊藤茂先生です。ネットの葬儀関連の掲示板で声をかけて頂いた事がキッカケでした。伊藤先生にご遺体の事について様々な指導を受け、それが現在のスキルの繋がっています。
 また、伊藤氏の紹介で、講演会や講習会にも伺うようになり、最近では伊藤先生が出版した本にも数ページですが、私も書かせて頂きました。
 これから、今迄培ってきたスキルを、後継に残して行けるよう活動しながら、今までの恩を、少しずつですが返していけるように頑張って行きたいと思います。そして、これからこの仕事を目指していく方々に助力できるようになりたいと思っています。
  また、このHPに訪問してくださった方々との出会いも大切に
    して行きたいと思います。

キッカケと様々な出会い

  通常、一人で仕事に従事しています。殆どが葬儀社からの依頼で、自宅・会館で執り行っています。
 寺や教会等へも直接赴く事も有りますが、病院への出向は有りません。直接、ご家族からの依頼も受けていますが、葬儀を行う葬儀社には、其々取引先が有り、そちら以外は受け入れて頂けない場合が多いです。
 

現 在

 「生涯現場」が信念ですが、知識や技術を後に残したいと思っています。そこで、東京や大阪で講習会を行って来た経験を生かし、地元北九州にて、平成27年より少人数制の講習会を定期的に開催します。専門職のいない地域の葬儀社等では、スタッフが行っている所も有る為、これからは看護師だけでなく、最後の支度に携わる方々に、少しでも現場の知識・状況・技術を伝えたいと思い、色々なコースを設けて開催していこうと考えています。

これから

経 歴

 1984年 福岡県立門司商業高校卒業 (現在は2校合併し名前変更)

 1984年 マックスファクターに就職 (メークアップアーチスト)

     ・ 4年勤務後同社を退社。後に経理の仕事に就きながら資格を取得して転職

     ・ 大栄コンピューター学院(OA科)に講師として就職 (現在は社名変更)

     ・ OAの資格で、派遣として「東芝」「パイオニア」などに勤務

 1996年 湯灌業者に就職(福岡県の業者に勤務していましたが、就業場所が広域で、

             2年ほど徳山市(現在の周南市)に転勤勤務ほか、佐賀県、

             山口県、大分県などにも出向。葬儀に地域性が有ると実感。

 2002年 独 立  今に至る・・・。

 2003年 特別管理産業廃棄物管理責任者講習修了 

 2004年 特定化学物質等作業主任者技能講習修了

      

     

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